昭和40年01月30日 夜の御理解



 「おかげは受け徳、受け勝ち」という御理解がある。「おかげは受け徳、受け勝ち」。どうも、どういう意味のことか分からない、分からなかった。まあ今晩の御理解を頂いてみて、そんなものかなあと、まだすっきりとはせんけれども、分かった様な気がするんですけれども。私、今朝方からその事を思わせて頂いて、あの今朝方のお夢を忘れとったら思い出させてもらったんですけれども。
 『或るあの何かお商売をしておるらしいのですね。電話がかかって来てから、「済みませんけど、あの大水がいってからお宅の方に来られんから、済まんけれど煙草を一つ持って来て下さい」て注文が電話であっておるわけなんです。多分、向こう側が大水で来られんちゅうなら、こっちからも行かれまいと思うてからですね。「そんならあなた、そっちから来られんなら、こっちからも行かれんでしょうもん」と私が言うたら。
 「いいえ、男の人がはまって来てもらやぁ、出来ます」ちゅうておっしゃるですもん。煙草いっちょう位いと思ったけれども、日頃お客さん本位と、こちらが思って居るわけなんですね。商売さして頂いてるから。「そんなら持って行ってあげましょう」ちゅうて、私が煙草を二つ持って行ってやりよったです。ところがなるほどその、してから丁度その寒いは今の頃ごとあるそうです、寒いとですたい。そりゃ膝坊主位まで渡っていかんならん。
 そりゃああた、もうこりゃいよいよはまらにゃいけんごとなって、はまってから渡って行きよったら尻餅ついた。もう下も袴から下がびっしょり濡れてからですね、それでもやっぱり向こうへ行ってその、煙草の配達を終わった』ところの様なお夢だった。何のこっちゃ私は分からなかったけれどもね。今晩、「おかげは受け徳、受け勝ち」ということを頂いてから、ははぁこういう様なことだろうなとこう思った。
 信心をさして頂いておればですね、例えばあの、それは一服しにいくと言いますかね、煙草のことですから。いうなら遊びに行くとでも言うでしょうか、まあいうなら「お店に今日は遊びに行きよりますと、家族中で。先生どうぞよろしゅうお願いします」と言うて電話でもかかって、お取次さして頂いたらです。「もうそげなこと電話でお届けしてから」なんてんちゅうことはいかんて、お取次をさして頂くならばです。
 ね、そこがお取次をさして頂く。だからそれでもやはりですね、「無事に楽しゅう、一家中の者が、温泉でおかげ頂きました。」と言うてお礼に出てこれる位のおかげをです、お取次させて頂くのがお取次者だと。今日私は、ここにこう座って居るだけでも大修行なんです。今日はもう、この右の方がまあちょっといいですけれども、左のほうはもう全然このつきあえん位に、この足の座りだこが腫れて化膿してるです。今日は午前中七時間も座っとくだけが、もうほんとに大修行でした。
 それが私は、神様にご無礼さして頂いてから、ここの中に、片一方の足だけ投げ込んでですね、御結界のここん所へ、片一方だけ投げ出してから、お許しを頂くようにお願いさして頂いたら、「その辛抱が、氏子がおかげを受ける」とおっしゃる。そうなって来るとこりゃほんとに、その辛抱がまた信者が助かることでありゃ、こりゃ足を投げ出すわけにはいかんと思うて、辛抱させて頂いたんですけれどもねえ。
 ですからそういう辛抱さして頂いて、どの様なお取次にでも、例えば「先生さぁどうしましょうか」と、目の前が真っ暗になるようなお取次の事を持って来ても、ドッコイと受け止めさして頂けれると同時にです、やはり日頃修行さして頂いて、電話で煙草一丁持って来て下さいと言う様なお願いごとでもです「無事におかげで温泉行きで、一家中の者がほんとに面白う可笑しゅう過ごさして頂いて有り難うございました。
 何から何までお繰り合わせ頂いて」と言うて、お礼に出て来る。来んにゃ居れん位なおかげをです、取次がせて頂かにゃいけないです。そんな事を思わせて頂きよったら、ははぁ「おかげは受け徳、受け勝ち」と言うのは、こういうような事だと私は思うた。こげな事まではお届けは出来ん。こんな事まではお願いは出来んと言うのではなく、どの様な事でも、いや電話ででも、いやそりゃ遊びに行くことでも、お取次を頂いてお願いをすれば、取次の者は日頃、その為に修行さして頂いて居るということ。
 こげな事まではお願い出来ん。ですから結局、取次者の場合、ならその水を渡ってでも、その水に濡れながらでも、この寒い中に渡ってでもですたい、やはり持って行ってやれるだけの、まぁサービス精神というですかね。奉仕の精神というものがなからなければならない。ために日頃、水を渡って行くというわけではないでしょうけれどもです、日頃、そこのところの修行をさして頂いておかなければ、信者が「おかげは受け徳、受け勝ち」という様なおかげは受けられんな、ということ。
 頼んでお願いする。「やっぱりお願いしとかにゃいけん」と言うてお願いをする。お願いをさして頂けれるという、お願いをして頂きゃやはり、お願いをしただ万事にお繰り合わせが頂けれるという様なおかげを頂くことが、おかげはやっぱり受け徳であ、受け勝ちである。ねえ。神様はそれだけのおかげをやってからというて、「ああ、あれにゃあれだけの電話位で、あん奴はあんだけのおかげ頂いてほんに惜しかった。」
 という神様ではないということ。やっぱりお願いをして、おかげを受けてくれた方が神様の喜びということ。昨日から秋永のおばあちゃんがこちらへ見えておられます。夕べは西郷の方へ泊まっとられましたけれど。それがその明日から私どもの母を福岡へ、まああのフミさんが、どうでもこうでも椛目のばあちゃんを、いっぺん連れて来てくれと頼まれとる。それでまあ言うなら極楽さしょうということでしょうねえ。
 それで家の自動車じゃこまいから、高橋さんにお願いしてあるから、高橋さんが必ず、月次祭の前の日にお供えを持ってお参りになるから、その車に便乗して帰って来て下さいと言うて、おばあちゃんにお願いしてある。そいでおばあちゃんは、今夜から泊まりがけでここに居って、高橋さんの車が、いつ来るか分からんから、明日、高橋さんの車が来たら、おばあちゃんを連れて福岡へ行こうというわけなんです。
 これはまた、それとは反対の事が言えるですね。まあいうなら日頃、先生におご苦労かけとるから、先生が喜びなさる様に、先生が親を大事にしなさるから、その先生の親を大事にすりゃ、先生も喜びなさるに違いはないというのが、私は、フミさんの気持ちじゃなかろうかとこう思うのですよね。「いいえそりゃ、また来てそんな事することいらん」と言うことはない。やっぱこれは「おかげは受け徳、受け勝ち」で。
 おばあちゃんが気分が悪くて行けんとか、どうかというのじゃないけれど、一回、ここからあちらまで歩く事もいらん。自動車で送り迎えして頂くなら、おばあちゃんの気持ちがいいなら、連れて行って頂こうかと私も思い、また神様にお願いさせて頂いとるわけなんですけれども。ね。それもやはり、これは反対の意味においての「おかげは受け徳、受け勝ち。」「さあ先生、足一著もませていただきます。」これも私の「おかげは受け徳、受け勝ち」だということになるですね。
その「おかげは受け徳、受け勝ち」はですね、例えば、なら私達、私がそして皆さんがです、その頂きおうて行くというところに信心が育って行くようですね。お取次を頂かせてもらうということが有り難い。お取次をさして頂くということが有り難い。ね。そこに神様がそういうさまをご覧になつてお喜び下さる。なるほど少し分かって来たような気がするですね。そのおかげは、御理解にちゃんとあるんですよ、そう。
 たった一言の御理解です。それが私は意味が分からなかったんです。おかげは受け、もう頂きもうけと。頂き儲けと言うて、こう持ち逃げするといったようなあれじゃないですもんね。今、御理解頂きよると。もうほんとにこげな事までお願いさして頂いて。やっぱお願いさして頂きゃ有り難い。例えば、温泉行きのことでもよい。しかも電話ででもよい。お願いをすりゃ、お取次を頂いてお願いをさして頂いた。
 頂きゃ頂いたで、いわば帰って来たらお礼参りでもさしてもらわにゃ居られん様なおかげを頂くということなんです。神様はやっぱり喜んで下さる。氏子もやっぱりおかげを受ける。もう頂き儲けといったようなものでなくて、おかげは受け徳と、徳に成る。受け勝ちだとこういうこと。それをまた今度は私の、私共が皆さんに大事にしてもらうと言ったような事が、やはりこれは「おかげは受け徳、受け勝ち」であって。
 それによっておかげを落とすのではなくて、それによって、なら久富さんがです、私の按摩をして下さるなら、按摩をして下さるということによって、久富さんも助かってくださるということ。皆さんがお願いを、こげな事までというようなお願いをさして頂くことによって、日頃修行さして頂いておくというか、しておかなければならんという、信心を私はさせて頂いてです。
 どのようないわば<おもてめん>でも応じられるだけのですね、取次者になって行かなければならんな、という事をまあ思うわけなんです。そう言う様な事らしい、と思うんですね。そいでははぁそう言う様な意味のことだと思うて、今、下がりがけにです、ははぁ「おかげは受け徳、受け勝ち」とはこうゆうようなことだなと、こうおぼろげに分かって、立ってから、あちらからここまで御結界に付かせて頂く間にです。
 あの中村喜久世さんの事をふっと思い出さして頂いたんです。そしてあの人がいつか体験発表の時に、こういうような事を言われた事を、私はちょっとまた連想したんです。あの中村喜久世さんが頂いてから、話された事をです、皆さん記憶があるでしょうか。『お参りはしもうけ、お供えはしもうけ』ということ。お参りもお参り儲けなら、お供えもし儲けだということ。ははぁここに至って初めて「おかげは受け徳、受け勝ち」ということが、本当に分かったというような気が致しますですね。おかげ頂かにゃいけません。